もっとコンテキストを大切にする時代へ
中学校のとき数学の先生が「X」のことを「えっきす」と呼んでて、みんな笑ってたけど、日本人は一部、単語内の「X」の発音は「く」ではなく「き」で読んでるよね。
「Text」→「てきすと」
「extra」→「えきすとら」
「context」→「こんてきすと」
実際の英語の発音はどちらかというと「てきすと」ではなく「てくすと」が近い気がする。
なので今回のタイトルも「コンテキスト」ではなく「コンテクスト」が発音的には正しいのかもしれない。
さて、SNS全盛期において、個人の発言はどんどんオープンになっている。
何気なくTwitterに投稿した文章が全く知らない人に読まれることが普通の時代になってきた。
文章というのはコミュニケーションツールとしては貧弱で、欠陥品と言っても過言ではない。
Twitterに表示されているわずか140文字程度の文章で完全に意図を伝えることはほぼ不可能である。
この無理ゲーに対して情報を保管してくれるのがコンテキスト改めコンテクストだ。
例えばTwitterの文章を見たとき、僕をよく知る人ならつたない文章でもある程度意図が伝わる。
しかし全く知らない人なら意図が伝わらないケースがよくある。
僕をよく知る人はその文章を読むとき、「永田謙一郎」というコンテクストをつけて呼んでくれるので、意図が伝わりやすい。
そういうこともあり、コンテクストを共有していない人が読むかもしれない文章(このnoteなんかまさにそれ)はかなり神経質に言葉を選んでいる。
変に誤解を生まないように注意しないといけない。
でも最近、
「それってあまり意味のないことだよなぁ」
って感じるようになってきた。
世にいうSNS疲れなんか大抵コンテクストが共有されていない事が原因のような気がする。
今後SNSを活用して何かをしようとしている人は、いかにコンテクストを共有できるメンバーを増やしていく事が重要なんじゃないかなとも思う。
「あー、この言葉あの人が言ってるなら、きっとこういう意味だな」
って読み手で補完してくれるような。
そういうコミュニティースペースになればSNSはもっと居心地が良くなると思う。