他人を否定することは簡単で肯定することは難しい
おはようございます、大阪でフリーフォトグラファーをしている永田謙一郎(@kenichiro_nagata)です。
今日は最近ふと思った話。
SNSを見ていると他人を否定している意見をよく見かけます、永田の周りだけかもしれませんが、肯定していることよりはるかに否定の方が多い気がしています。
それはなぜなのかなぁー、というのを呑みながら考えた結果を書きます(笑)
そもそも「否定」というのは
「自分の考えとは違う」
ということかと思います。
まぁ、考えだったり、思想だったり、感性だったり、感覚だったりはあるかと思いますが、
「違う」
ということが根本にあるかと思います。
そういう観点で言うと「肯定」というのは「自分と同じ」ということになるかと思います。
こう考えると、世の中が「否定」で溢れかえっているのは数学的観点から言っても当たり前なんですよね。
どういうことかと言うと、
「違う」
ということは、ものすごく簡単に発見できて、ものすごく簡単に証明が出来ます。
つまり「違いはわかりやすい」
これに対して、
「同じ」
ということは、分かりづらくて、証明しづらいことなのです。
なので、「違う」ということが根本的にある「否定」の方が、ものすごく簡単に発見できて、発信しやすいんですよね。
1つ例を上げます。
小学生くらいの記憶を呼び起こしていただいて(笑)
ここに2つの三角形があります。
この2つが「同じ」で有ることを証明するには
・三辺相当(三辺の長さが全て同じ長さである)
・二編狭角相当(二辺の長さと、その間の角度が同じである)
これらのいずれかの条件が全て満たされることで、はじめて「同じ」と言えるわけです。
逆に「違う」事を証明するには、どこかの辺の長さが違ってるか、どこかの角度が違っていると、もうそれは「違う」ということが出来るのです。
単純な三角形ですらこの有様。
人間の思想に関して「同じ」であるというのは非常に難しい。
難しいので「肯定」してしまうことはリスクが有ることになります。
そう、「否定」にはリスクを伴わないが、「肯定」にはリスクが伴うのです。
なので、気軽に発言が出来るSNSなんかは「否定」で溢れかえっちゃうんですよね。
なーんて事をふと思いました。